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予知夢

2016/01/19

  予知夢というのはある可能性が高いですね。私は過去2回、狙ってる株の底値をジャストで夢で見たことがあります。そして今回、正月以降の大暴落・・・

  大暴落を予知したわけではなく、年内に利確して正月に買い戻さなければならない銘柄がありました。それが気になっていたのか正月休み中に夢に出て来たのですが、その時点からすれば安すぎる株価で、目がさめた時は「ありえね〜」といくらだったのかも忘れてしまいました。それに正月の相場と言えばご祝儀相場のイメージが強く、大暴落になるなんて考えていませんでしたから。

  結果、予想外の日経大暴落で、買い戻す予定の銘柄はかなり安くなりました。夢に出て来た株価を憶えておけば良かったと悔やんでいますw

  というわけで、今回の事を踏まえると予知というのはあるのではないか?と思い始めました。それが霊的な現象なのか?経験の蓄積が無意識で未来予測しているのかわかりません。ただ付け加えれば、“あなたの知らない世界”は本当にあるというのだけは経験上知っています。複数の人間が体験した、疑問の予知さえない現象です。

  世界というものは先立って既に歴史を刻んでいて、我々が今まさに体験し感じている現在というものは、それより遅れて現出しているのかもしれませんね。

時間を人との議題にすると面白い 笑

2015/12/10

  そもそもタイムパラドックスは概念的=論理学上の難題ですが、並列する時間=いくつもの世界線を仮定してしまう時点で論理学じゃなくなっているんですよね。論理学は概念を整理してどんどん単純な概念=世界観にして行くべき世界なのに、どんどん概念を増やしてどーする?w 出発点からパラドックスってるわけです。

  要するに時間は論理学で考えてはいけない。聡明な論理学者ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬことについては口を閉ざすべき」なのに語ってしまっている。私の過去ログ「時間について」は、タイムパラドックスという概念を論理学のみにしばりつけたら?という仮定で説明した完璧な論理だと思っています。

  じゃあ本当の本当にタイムパラドックスはおきないのか?それ以前に時間って何なの?という問いに対して真理(さえあるかどうか解らないですが)を追求するならば、それは神のみぞ知るという事で、もう論理学ではなく形而上学で考えるべきなのです。解りやすく言えば宗教とかブッダの世界で考えるということですね。

  ま、ソクラテスもプラトンも悩んで大きくなって死んでいったわけです。もし本当に悩んで死んだならば、それは「語り得ぬことについて口を閉ざさなかった」からに他なりません。

  で、お題目の「時間を人との議題にすると面白い 笑」に戻りましょうか 笑。時間やタイムパラドックスについて話をふっかけると、100%前述した根本的にパラドックスってる事を認識していません。だから面白いんです。というわけでフラグ?回収したので、この辺で。

音楽の行方

2015/11/17

  投資の関係で企業のIRを順繰りに見ていると、最近ドリームインキュベータという会社がライトパブリシティと業務提携というのを見かけ「はぁ~?w」とか思ってウェブサイトを覗いてみると、特別顧問に元SME社長の丸山茂雄氏も着任されているのを知り「懐かしい時代があったなあ」なんて思ってしまいました。興味ある人はドリームインキュベータのサイトで他の特別顧問も見てみると、いろんな意味で面白いですw

  「懐かしい時代」と書いたのは…10年前、丸山氏がmf247という音楽配信サイトを立ち上げられたのですが、ブログもされていて興味深かったのでTBをかけて自分のブログで記事にしたことがあります。すると氏はそれに応えて記事にされたのですが、当時としてはもっともな意見と私も感じていたものです。下にリンクしておきますので興味ある人はどうぞ。特に丸山氏のジェフベックの日本公演の話は解りやすい例だと思います。

丸山茂雄の音楽予報

N2の音楽作品ブログ
(ちなみにN2とは当時使っていた私のハンドルネームです)

  しかし、世間の音楽の嗜好はそんなのを無視して、どんどん違う方向へ進行したんですよね、これがw たぶん、例えばジェフベックの話で言えば、ジェフベックで感動してこだわりを持っている人はジェフベックに次ぐ新人の出現を待っていると我々も、多分ジェフベック好きの人もそう思っていたはずなのですが、実は違った。ジェフベック好きは次のジェフベックは受け入れなかったと今は感じるのです。

  解りやすい例をあげれば、ニコニコ等のコメントが入る動画サイトでアニメを見ていると、批判的なコメントが多くつきます。「誰々の作品と似てるが薄い」とか「なんちゃらのほうと比べたらショボイ」という感じです。なるほど。「自分が一番いいと思ったもの」より同等のものが現れたとしても、それを認めないというのは人間の特性としてありますね。

  というわけで、ジェフベック世代はその時代の音楽ばかり聴き続けるし、若い人は自分の時代の娯楽としての音楽を追求するしで、ここで言う価値のある音楽は求められなかったという結果が出ました。価値のある音楽という表現は曖昧ではありますが、もう今は意味のない話ですし、錯覚を多く含んでいる話でもあるので割愛します。もちろんそれだけが原因ではないですよ。マイケル・ジャクソン以降、動画がつかない音楽はすたれ、そのうち音楽と動画の重要性の主従関係が入れ替わったというのもあります。他、さまざまな原因が考えられますが、それを解き明かす目的の記事ではないので、この話はこの辺で。

  そして現在、相変わらずの音楽が大半を締めるのですが、面白くて聴ける音楽も多く登場してきました。相変わらずの音楽が生き残っているのはジェフベックの話と半分似ていて、それぞれの年代に育った人は、同じような音楽を嗜好し続けるということです。反面、初音ミクが最も代表的な現象だと思いますが、そういうエンターテインメント性が大きい音楽が多く出現して来ました。実際私が最近よく聴いている傾向のカテゴリーでもあります。当分このまま音楽は変化せず、バリエーションを増やしながら続いて行くことになるでしょう。

  次なる音楽ですが、クラウド上のコンピュータ・AIが作詞・作曲・編曲・演奏・歌唱を実行するものが出て来ます。実際アプリやネットで自動作曲するサービスが始まっていますが、この技術がもう一息進化し、ボーカロイドが物理フィジカルモデリングになった時がその時期かもしれません。出版側が発信するコンテンツは楽曲や歌手ではなく、AI上で音楽や映像を現出させるプログラムを走らせるためのアルゴリズムやパラメーターになります。

  ここまで行くとバーチャルエンターテインメントの進化が加速し、関連業種も同時に盛り上がり始めるでしょう。そしてどんどんリアルがセカンダリーに追いやられて行きます。もちろんこれらコンテンツは、欧米も狙える音楽・キャラクターエンターテインメントになると思います。

  詳細やビジネス展開を書くと話が長くなり、事業企画書のようになってしまうのでそろそろやめます。簡潔にまとめると「アルゴリズムとパラメーター」という部分がミソです(笑)いずれにせよ音楽は以前の私が考えていたような悲観的な方向へではなく、興味深く楽しいものがボチボチ出現してきました。かなり長い間、主にヨーロッパのジャズくらいしか音楽にお金を払わなかったのですが、最近は僅かながら気に入った日本の音楽にお金を払うようになっています。
 

テレパシー

2015/03/14

  眠いので3時間程度寝てたのですが、面白い夢を見ました。

  テレパシーの能力を与えられた女性2人の被験者が出て来る夢。Wikiによると「テレパシー (Telepathy) は、ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されること」とあります。

  テレパシーにはきっと「伝達しようとしないと相手に伝わらない」「伝達の意志がなくても相手に勝手に伝わる」「受信しようと思わないと受信しない」「受信しようと思わなくても受信してしまう」などの送受バリエーションがあるのだと思いますが、私が見た夢は勝手に送受してしまう類いだったようです。

  この2人の被験者はラボでまずお互いの意志や記憶や体験を共有しはじめます。次にラボから普段の生活を別々に始めるのですが、各々自分の人間関係の相手の心を受信して行くわけです。そうなると、何人もの心の内容を2人は共有することになります。

  しかし問題はそこからで、だんだん自分の体験か?他人の体験か?解らなくなってきます。ふと道を歩いていて、ここは通ったことがあると思うのですが、その記憶は自分の記憶なのか誰かの記憶なのか解らないわけです。それも多人数のものが混じっていますから、整合性がありません。結局、自我というか自己同一性が崩壊して精神に異常を来してきます。

  ざっくりそういう夢だったのですが、この夢から副次的に思いついたことは、人間の「主観」“世界を認識している自分” と「自己」“確立した自分という認識”は別であるいう事です。

  とまあ、夢の記録を兼ねてブログ記事にw これにちょっと似た感じなのですが、夢の中で「あ、ここは前に何回か夢で見た場所だ」と思っていて、目覚めても「前に何回か見たよな?あの夢」と思っていることがあります。しかし冷静に考えてみて「あれは本当に前に見たことがある夢だったのか?」「夢の中の自分が“何回か見たことがある”と思っていたからそう思えるのか?」どちらか解らないのです。私が心理学者だったら夢を見るごとにメモやスケッチを記録するでしょうけどね。

コミュニケーションロボット

2015/02/27

  人のカタチをした小さなロボットが、情報端末のパラダイムを大きく変える/ロボットクリエイター高橋智隆さん

  ↑上の記事を読んでいて「なるほど!」と思いました。ロボットが人間と同じ大きさになって、それが転倒してユーザーが負傷・死亡した場合の責任は?・・・これ、考えた事がなかったですね。産業用・軍事用であれば予め安全確保出来そうですが、例えば「家政婦ロボットが故障→作動停止で体のバランスが保てなくなる→人間の上に倒れる」なんて事があり得ます。これを考えれば、人型で人間大のロボットが家庭や公共の場で運用される可能性はかなり低くなります。これはとても残念です。

  コミュニケーションロボットという考え方は同意です。しかし「5年後に1人1台、胸ポケットに入る人型ロボットを持ち歩く時代がやってくる」の部分ですが、持ち歩くのは少数派だと思います。持ち歩くのは、以前から私が言っている「動くキャラクターのインターフェイスを装備したスマホ」でしょう。そのキャラクターは氏が考えているロボットと同じような振る舞いをスマホのディスプレイ上で実行します。この場合、物理的制約を受けないのでキャラクターはロボットである必要はなく、美少女キャラでもイケメンキャラでも初音ミクでもミス・モノクロームでもクマモンでもキティーでも良い。こちらのほうが持ち歩くには現実的で、ロボットより具象的ですので愛着が湧くと思います。

 「コミュニケーションロボットの存在意義は、人間の感性と深く関わっていることがわかりました。しかし、そのことに注目している研究者はまだ少なく、社会はそんなロボットの価値に気付いていないように見受けられます。」とありますが、ただロボットを研究している人や普通一般人が考えていないだけで、デジタルエンターテインメントに慣れ親しんでいる作り手やオーディエンスの人たちは解っていると思います。そういう人たち結構多いと思いますよ。

時間について その2

2015/01/20

時間について その1はこちら
 
 
  昨日予告した件です。別に楽しみにしてないでしょうがw 私はタイムパラドックスが嫌いなんですよ。とにかく矛盾は嫌いなのです。これは性格ですw

  タイムパラドックスは何かというとWikiを見るとラクです。そもそもタイムマシンがつくれるのか?それで過去に行けるのか?という事さえ解らない問題なんですが、行けたとしてもタイムパラドックスとパラレルワールドがめちゃくちゃ嫌いなんですよ。そういうボワッとした思考が(笑)
 
 
  じゃあいきます。現在2015年、ここに20歳の人がます。彼はタイムマシンで20年前の1995年に行き、自分が生まれる直前に母親が入院している産婦人科病院を爆弾で破壊します。母親とお腹の中の自分はその事故で死亡。自分は生まれなかった事になりました。

  しかし自分は消えたりしませんでした。彼はタイムマシンで元の世界の2015年に戻って来ました。やはり何も変わっていません。

  これでいいのです。なぜなら自分が死んだという過去は1995年から動き出しているわけです。例えば彼はそのまま2020年/25歳まで暮らします。その場合、自分が死んだ過去は2000年になっています。つまり自分が生きている歴史と死んだ歴史の時間は同じ速さで進み、追いつくことはありません。

  もし2020年/25歳の彼がタイムマシンで自分が居ない世界を見るとすると、2000年以前に行けば見れるわけです。一見パラレルワールドに見えますが別世界が発生するわけでなく、同じ線上に二つの歴史は同じ速度で走っていて上書きされていくだけです。
 

  例え話をすると、ここにテープレコーダーがあります。それはテープにベートーベンを録音しながら、すぐ再生する機能を持っています。これは【録音=歴史がつくられる】【すぐ再生=その歴史を目撃している自分】という事になります。

  今、5分前にベートーベンの再生が終わっているテープ地点から、モーツァルトを上書き録音して行きます。すなわち過去に戻って歴史が書き変えられました。しかし今再生している曲がモーツァルトに変ることはありません。モーツァルトを聴きたければ、5分前にさかのぼった部分から再生しなければなりません。つまり、現在の世界には影響はなく、パラレルワールド論のように世界を枝分かれさせることもなく、同一線上に複数の歴史を共存します。
 
 
  これでタイムマシンによる過去旅行で発生するタイムパラドックスを2つの方法で解消しました(笑)しかし正解はきっと「過去は現在を過ぎた瞬間に破棄されて、過去に行くことは出来ない」だと思います。

時間について。

2015/01/15

  最近ふと考えてしまうのですが、なぜ科学者達は過去を「時間を持ったもの」としか考えなかったのだろう?と。私が書いた1月2日の記事のように「過去は時間を失った単なるログ」というように考えなかったのかと。パラレルワールドの存在を認めれば、また無限という説明の付かない世界をつくってしまうのにです。科学者ではないので解らないのですが、理由があるのでしょうか?

  前の記事で「過去とは2ちゃんねるの過去ログのようなもの」と書きましたが、撮影し終わった映画のフィルムのようでもあります。私がタイムマシンで過去に行ったとして過去の1コマに私が描き足されたとしても、次のコマ以降には私は居ません。過去とはそういうものなんじゃないかと思うわけです。

  時間とは不思議なものです。昔、誰かの本で「何も出来事が起きなければ、時間は無意味になる」というのを読んで「なるほど!」と感心し、同時にマックス・エルンストの「沈黙の目」が浮かんで来ました。絵や写真の世界には時間はありません。画像の中には出来事の結果が固定されたままで、次の出来事や重力や慣性等の物理法則を受け入れて動き出すことはありません。そして時間は勝手に流れているものではなく、出来事の連続と連関して流れています。

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  私が考えた世界観は、過去ログにアクセスする事ができれば過去へ行けます。しかしタイムマシンが開発されて過去に行くと、過去の1コマの世界を眺めながら動く事もできず死ぬ事もできず、永遠に過ごさなければならないのかもしれませんね。ただし過去ログがあるのかどうか解らないし、どんどん現在に上書きされているのであれば過去へは行けないことになります。
 
 
 
ちょっと気になっていたので、今年1月2日に書いた“世界観”について整理してみました。
 

◉我々が生きている世界は、一般的に言うバーチャルリアリティのような世界。ソフトウェアが走っていて、世界を認識している我々=主観は演算ネットワークに於ける“端末”のようなもの。

◉事象(仮称)とは、モノ。事象はデータで構成されていて、3DCGにおけるモデリング+テクスチャーデータ+素材データ合体ファイルのようなもの。

◉エイドス(仮称)とは、モノに影響を与えるデータとパラメーター。動きであったりモノの構成の状態を変化させる。

◉エイドスによりあらゆるものが動き、変化し、時間が生成される。エイドスのコマンドを走らせる最大量は決められていて、仮にエネルギーを多く消費するコマンドを走らせるとリソースが足りなくなり、時間や質量といったものに影響を与える。

◉感覚器官が備わった生物はこれらのデータを読み取り、空間や事象(モノ)を認識している。

◉モノと、それを構成するデータの関係は、量子力学世界でいう「重ね合わせ」の世界に相似する。

◉エイドスは現在のみに於いて作用し、生み出される過去は過去ログ領域に保管される。過去ログはデータの積み重ねであり、アクセスする方法があったとしても過去ログの一瞬を書き変えることができるだけ。しかし過去ログは保管されず、どんどんメモリー空間にどんどん上書きされていくという考え方もあり。なぜなら世界の過去ログは必要ないから。

◉エイドスは人間が言うところの物理法則の通りに設計・運用されている。超常現象は、エイドスを実行する際のエラーもしくはバグや事象を形成しているデータの欠損。

魔法科高校の劣等生は宮崎アニメより哲学的か?

2015/01/02

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「我思う故に我あり」 ルネ・デカルト

「我々は太陽そのものを見ているのではなく、
 太陽を見ている目を見ているのである」 A・ショーペンハウワー

 
  今は地味になってしまった観念哲学ですが、このところのアニメが理由で私の中で一挙に浮上して来ました。新年一発目はこの話題をちょいと。私が今から書く事は「SAO」と「魔法科高校の劣等生」を観て感じたことです。案外とこれはアリストテレスやプラトンから量子論的世界観まで延々と続いている「世界観」に対して真理に何歩か近づけるものかもしれません(笑)部分部分を掘り下げ出すとかなり大変になりそうですし、私は専門家ではないので知らない事もあるしで、細かいことや難しい専門用語はヌキにしてサックリ行きます(笑)事象などの言葉は、魔法科高校の劣等生の定義をそのまま流用します。

  魔法科高校の劣等生の「魔法はいかなるものか?」という世界観の話は大変興味深いものとなります。原作は読んだ事がないのでWikiを頼りにしました。著者が言う魔法とは「事象に付随する情報体をエイドスと名付け、エイドスを書き変えることによって現実では起こり得ない事=つまり魔法が発動される」ということに設定されています。例えばボール〈事象〉が目の前に落ちている。この場合、地面で「静止している」というのがエイドスの普通の内容。ここでエイドスを「運動」に書き変えれば誰も触らないのにボールは動くし、重さを「100t」に書き変えれば地面にめり込みます。これは哲学で言ういわゆる「因果律」に介入するって感じですよね。(因果律とは、あらゆるものには先立つ原因があるから今の状態があるというごく当然な規律。例えばあなたが今触っているスマホは突然現れたものではなく、遡るとあなたが買ったからあるわけです。)ちなみに魔法科高校の話では魔法は事象そのものを変化させることは出来なくて、ボールを何もない状態から出現させることは不可能に設定されています。私なら事象も3DCGにおけるモデリングデータのような情報体として存在を許し、そのデータも魔法で書き変えるようにしますけどね。例えば犬が猫になったり、魔法少女や仮面ライダーに変身できたりできるじゃないですか(笑)

  観念哲学での世界は「我思う故に我あり」です。私(の脳)が自・他を認識しているから、私というものがあり、世界はあるのだ」ということであり「太陽はそこに実際にあるのではなく、太陽を見ている目を脳が感じているから、太陽はそこにある」ということだと言ってます。つまり世界は目に見えているものそのものではなく、目がモノの情報を受け取り、脳が演算して「そこに□□というモノがある」と我々が認識していると。「脳が演算して」というのは現代の科学でも証明済みでしょう、きっと。

  話は少々それますが「とある科学の電磁砲」も超能力を演算で発動していますが、例えば白井黒子の場合、エイドスではなく事象そのものを書き変える超能力ですね。彼女はある空間座標から事象を消し去り、異なる座標に同一の事象を書き込んで瞬間移動させていると思います。もしエイドスでそれを行えば加速系魔法で事象を瞬間に高速移動させる事になりますが、閉じた空間の内から外へ移動できません。アクセラレーターはベクトルを自由に操るということで移動魔法ですか。これはエイドスの書き換えでできますね。というわけで・・・ここで魔法や超能力の話をしていても前に進みませんから、現実的な世界観の話に移行します。なぜなら魔法や超能力を使う人は一応この世には居ないですからね(笑)

  まとめますと「とある・・・」も「魔法科・・・」も『この世界はデータで出来ていて、それらの結果が最終的に目に見えている』という世界観を持っていて、古代インド〜仏教やギリシャ哲人〜観念哲学までの世界観と同じということです。まるでコンピューター内のバーチャルワールドのように。この相似が非常に面白いわけです。そして誰もがこの世界のデータと法則に基づいて同一の世界を認識し生きているわけです。

  ではいっそのこと、この世はスパコンがつくりあげた「バーチャルワールドみたいなもの」としてしまいましょう。なぜ「みたいなもの」と言うと、いきなりバーチャルワールドと言えば映画マトリックスを思い浮かべてしまいますのでやや誤解が生じるかもと。この世はアニメSAOのようなもので、今私達が共有している世界はアインクラッドのようなものです。世界はソフトウェアということですね。このソフトウェアは、我々があり得ないと認識している以外の法則で空間や物事を現出させています。我々はアインクラッドに生まれ=ログインし、死を以てログアウトします。(アインクラッド=SAOで出て来るバーチャル世界)SAOとの違いは、SAOでは現実世界からバーチャル世界にログインしますが、我々のこの世界は現実世界そのものがバーチャル世界という事です。

  もしこのような世界・・・情報で出来上がってる世界とすれば、例えば宇宙の果ては?無限なのか?という疑問が解消します。あなたが地球を宇宙船で飛び立ったとします。窓からは星々が後ろに流れていくでしょう。この流れて行く星・空間は理論的にはいくらでも無限に書き続けできます。無限は理屈ではあり得ないですが、このように可能です。点はどうでしょう?点は大きさが限りなく0に近いという概念。しかし、拡大すれどもいつまでも点が認識できる最小で存在する状態は情報から出来ている世界なら可能です。なぜ三角形の内角の和は180度か?は、世界を現出させているソフトウェアがそういうように設計されているからです。宇宙の始まりや終わりは、このソフトウェアが起動した時・終了した時です。なぜ光速を超えることができないか?・・・それはソフトウェアがそう設計されているか、もしくは世界を現出させている演算装置のリソースの限界と考えられます。なぜ光速に近付くと時間が遅くなるのか?は、時間を走らせているリソースを光速を表すのに費やしてしまうからです。シュレディンガーの猫状態はなぜあるのか?それは事象は実際のモノではなく、情報でそれを演算現出させるから重なり合った状態をつくりだせるからです。観察しようとしたらそこにはないが、そこにある状態という素粒子の状態=波でもあり粒子でもありの状態は、情報としての存在と現出したモノとしての存在の関係と相似します。というように魔法科高校の劣等生とSAOの世界観を使うと、哲学や物理・量子科学の疑問点が解消されてしまうんじゃないかと思われるわけです。

  この世界観を使って過去と未来を考えてみました。過去というのはソフトウェアが現在まで現出させてきた世界の過去ログです。過去ログはHDに保存されているかもしれませんが単に保存されているものですので、もしタイムマシン(or 魔法)を使って過去ログにアクセスしそこに事象を書き加えても、過去ログが改変されるだけで今の世界が変わる事もないし、書き加えた時点からパラレルワールドが現出する可能性は考えられません。簡単に言えば、2ちゃんねるの過去ログをハックし書き込みを変更しても、その後の書き込みが改変した書き込みによって自動的に変化しないのと同じです。これでタイムパラドックスは解消です(笑)
  未来はソフトウェアが走っている限りあり続けます。そして光速の所で述べたように、リソースを偏らせることによって時間の経過量を変更することができ、魔法を使わなくても未来に行けるという現在の科学どおりです。ところで未来予知というものがありますが、それは例えばコンピューターチェスの試合みたいなものです。チェスの試合が進んで来ると相手がどう出て来るかがだんだん決定され、演算装置は先の可能性を少ないパターンで予測し未来がだんだん決定されて来ます。もし予知能力者がいるとすれば、そういった予測演算領域にアクセスできる力を持っているということで説明できます。
  幽霊はソフトウェアのバグですね。死んでいなくなったにも関わらず、バグで事象データが消去されなかったケースです。僧侶は幽霊を事象データエリアにアクセスして消去する=成仏させる能力者です。
 
 
 
  といった具合に、長年疑問に思ってたことが解消されたりで面白いでしょう?(笑)そして古代から脈々と偉人・賢人を悩ませて来た「世界とは」という難題に答えを導きます。これは宮崎アニメどころか手塚治虫氏の「火の鳥」より哲学的でもあります。まあ、たかがアニメとバカにせずに、時にはお子様と一緒にこういった話を盛り上げてみるのもコミュニケーション不足解消にいいかもしれません。お子様が中二病傾向だと楽しんでくれるのでは?(笑)

  説明足らずの部分が多々ありそうですが、そこは自分で考えてください。一気に書いて疲れたのでこれにて。
 
 
【後日追加】この記事は勢いに任せて一気に書いたので、読み返すと例えばアクセラレーターの超能力が魔法科高校でいう魔法の名称が“移動魔法”なのか?等・・・ちゃんと調べずに書きました。魔法科高校のファンなら結構こだわりのある部分かもしれません。しかし魔法科高校を厳密に当てはめて世界観を話そうとしたわけではなく、考え方を活かしただけですので一応釈明しておきます。。