魔法科高校の劣等生は宮崎アニメより哲学的か?

2015/01/02

sao
 

「我思う故に我あり」 ルネ・デカルト

「我々は太陽そのものを見ているのではなく、
 太陽を見ている目を見ているのである」 A・ショーペンハウワー

 
  今は地味になってしまった観念哲学ですが、このところのアニメが理由で私の中で一挙に浮上して来ました。新年一発目はこの話題をちょいと。私が今から書く事は「SAO」と「魔法科高校の劣等生」を観て感じたことです。案外とこれはアリストテレスやプラトンから量子論的世界観まで延々と続いている「世界観」に対して真理に何歩か近づけるものかもしれません(笑)部分部分を掘り下げ出すとかなり大変になりそうですし、私は専門家ではないので知らない事もあるしで、細かいことや難しい専門用語はヌキにしてサックリ行きます(笑)事象などの言葉は、魔法科高校の劣等生の定義をそのまま流用します。

  魔法科高校の劣等生の「魔法はいかなるものか?」という世界観の話は大変興味深いものとなります。原作は読んだ事がないのでWikiを頼りにしました。著者が言う魔法とは「事象に付随する情報体をエイドスと名付け、エイドスを書き変えることによって現実では起こり得ない事=つまり魔法が発動される」ということに設定されています。例えばボール〈事象〉が目の前に落ちている。この場合、地面で「静止している」というのがエイドスの普通の内容。ここでエイドスを「運動」に書き変えれば誰も触らないのにボールは動くし、重さを「100t」に書き変えれば地面にめり込みます。これは哲学で言ういわゆる「因果律」に介入するって感じですよね。(因果律とは、あらゆるものには先立つ原因があるから今の状態があるというごく当然な規律。例えばあなたが今触っているスマホは突然現れたものではなく、遡るとあなたが買ったからあるわけです。)ちなみに魔法科高校の話では魔法は事象そのものを変化させることは出来なくて、ボールを何もない状態から出現させることは不可能に設定されています。私なら事象も3DCGにおけるモデリングデータのような情報体として存在を許し、そのデータも魔法で書き変えるようにしますけどね。例えば犬が猫になったり、魔法少女や仮面ライダーに変身できたりできるじゃないですか(笑)

  観念哲学での世界は「我思う故に我あり」です。私(の脳)が自・他を認識しているから、私というものがあり、世界はあるのだ」ということであり「太陽はそこに実際にあるのではなく、太陽を見ている目を脳が感じているから、太陽はそこにある」ということだと言ってます。つまり世界は目に見えているものそのものではなく、目がモノの情報を受け取り、脳が演算して「そこに□□というモノがある」と我々が認識していると。「脳が演算して」というのは現代の科学でも証明済みでしょう、きっと。

  話は少々それますが「とある科学の電磁砲」も超能力を演算で発動していますが、例えば白井黒子の場合、エイドスではなく事象そのものを書き変える超能力ですね。彼女はある空間座標から事象を消し去り、異なる座標に同一の事象を書き込んで瞬間移動させていると思います。もしエイドスでそれを行えば加速系魔法で事象を瞬間に高速移動させる事になりますが、閉じた空間の内から外へ移動できません。アクセラレーターはベクトルを自由に操るということで移動魔法ですか。これはエイドスの書き換えでできますね。というわけで・・・ここで魔法や超能力の話をしていても前に進みませんから、現実的な世界観の話に移行します。なぜなら魔法や超能力を使う人は一応この世には居ないですからね(笑)

  まとめますと「とある・・・」も「魔法科・・・」も『この世界はデータで出来ていて、それらの結果が最終的に目に見えている』という世界観を持っていて、古代インド〜仏教やギリシャ哲人〜観念哲学までの世界観と同じということです。まるでコンピューター内のバーチャルワールドのように。この相似が非常に面白いわけです。そして誰もがこの世界のデータと法則に基づいて同一の世界を認識し生きているわけです。

  ではいっそのこと、この世はスパコンがつくりあげた「バーチャルワールドみたいなもの」としてしまいましょう。なぜ「みたいなもの」と言うと、いきなりバーチャルワールドと言えば映画マトリックスを思い浮かべてしまいますのでやや誤解が生じるかもと。この世はアニメSAOのようなもので、今私達が共有している世界はアインクラッドのようなものです。世界はソフトウェアということですね。このソフトウェアは、我々があり得ないと認識している以外の法則で空間や物事を現出させています。我々はアインクラッドに生まれ=ログインし、死を以てログアウトします。(アインクラッド=SAOで出て来るバーチャル世界)SAOとの違いは、SAOでは現実世界からバーチャル世界にログインしますが、我々のこの世界は現実世界そのものがバーチャル世界という事です。

  もしこのような世界・・・情報で出来上がってる世界とすれば、例えば宇宙の果ては?無限なのか?という疑問が解消します。あなたが地球を宇宙船で飛び立ったとします。窓からは星々が後ろに流れていくでしょう。この流れて行く星・空間は理論的にはいくらでも無限に書き続けできます。無限は理屈ではあり得ないですが、このように可能です。点はどうでしょう?点は大きさが限りなく0に近いという概念。しかし、拡大すれどもいつまでも点が認識できる最小で存在する状態は情報から出来ている世界なら可能です。なぜ三角形の内角の和は180度か?は、世界を現出させているソフトウェアがそういうように設計されているからです。宇宙の始まりや終わりは、このソフトウェアが起動した時・終了した時です。なぜ光速を超えることができないか?・・・それはソフトウェアがそう設計されているか、もしくは世界を現出させている演算装置のリソースの限界と考えられます。なぜ光速に近付くと時間が遅くなるのか?は、時間を走らせているリソースを光速を表すのに費やしてしまうからです。シュレディンガーの猫状態はなぜあるのか?それは事象は実際のモノではなく、情報でそれを演算現出させるから重なり合った状態をつくりだせるからです。観察しようとしたらそこにはないが、そこにある状態という素粒子の状態=波でもあり粒子でもありの状態は、情報としての存在と現出したモノとしての存在の関係と相似します。というように魔法科高校の劣等生とSAOの世界観を使うと、哲学や物理・量子科学の疑問点が解消されてしまうんじゃないかと思われるわけです。

  この世界観を使って過去と未来を考えてみました。過去というのはソフトウェアが現在まで現出させてきた世界の過去ログです。過去ログはHDに保存されているかもしれませんが単に保存されているものですので、もしタイムマシン(or 魔法)を使って過去ログにアクセスしそこに事象を書き加えても、過去ログが改変されるだけで今の世界が変わる事もないし、書き加えた時点からパラレルワールドが現出する可能性は考えられません。簡単に言えば、2ちゃんねるの過去ログをハックし書き込みを変更しても、その後の書き込みが改変した書き込みによって自動的に変化しないのと同じです。これでタイムパラドックスは解消です(笑)
  未来はソフトウェアが走っている限りあり続けます。そして光速の所で述べたように、リソースを偏らせることによって時間の経過量を変更することができ、魔法を使わなくても未来に行けるという現在の科学どおりです。ところで未来予知というものがありますが、それは例えばコンピューターチェスの試合みたいなものです。チェスの試合が進んで来ると相手がどう出て来るかがだんだん決定され、演算装置は先の可能性を少ないパターンで予測し未来がだんだん決定されて来ます。もし予知能力者がいるとすれば、そういった予測演算領域にアクセスできる力を持っているということで説明できます。
  幽霊はソフトウェアのバグですね。死んでいなくなったにも関わらず、バグで事象データが消去されなかったケースです。僧侶は幽霊を事象データエリアにアクセスして消去する=成仏させる能力者です。
 
 
 
  といった具合に、長年疑問に思ってたことが解消されたりで面白いでしょう?(笑)そして古代から脈々と偉人・賢人を悩ませて来た「世界とは」という難題に答えを導きます。これは宮崎アニメどころか手塚治虫氏の「火の鳥」より哲学的でもあります。まあ、たかがアニメとバカにせずに、時にはお子様と一緒にこういった話を盛り上げてみるのもコミュニケーション不足解消にいいかもしれません。お子様が中二病傾向だと楽しんでくれるのでは?(笑)

  説明足らずの部分が多々ありそうですが、そこは自分で考えてください。一気に書いて疲れたのでこれにて。
 
 
【後日追加】この記事は勢いに任せて一気に書いたので、読み返すと例えばアクセラレーターの超能力が魔法科高校でいう魔法の名称が“移動魔法”なのか?等・・・ちゃんと調べずに書きました。魔法科高校のファンなら結構こだわりのある部分かもしれません。しかし魔法科高校を厳密に当てはめて世界観を話そうとしたわけではなく、考え方を活かしただけですので一応釈明しておきます。。