“悪”はかっこよくなかったのか?

2016/01/15

  前にこのブログで「終末は叙情的で耽美なものと若い頃は感じていたのですが、・・・」と書きました。終末とは世界の終わり。“悪”が炎で町・村を焼き、雷で文明を砕き、洪水で大地を洗い流し、善を滅ぼし世界を闇に包む。中二病的な描写をすればそんな感じだと思いますが、恐らく巨大な力の象徴としての“悪”と、それに対する憧憬のようなものでしょうか?フィクションやファンタジーに悪魔や黙示録、黒魔術等が使われたりするのも、“悪”や“終わり”が持つ美を感じているからだと思います。恐らく「純粋悪」というものは美しくてかっこいいということかもしれません。

  そして現代。世の中は“悪”に満ちています。しかし現実の“悪”は醜悪で全く美しく感じません。それは現代に満ちる“悪”は「金儲けや私利私欲のための“悪”」だからですね。そしてそう遠くない未来に迎えてもおかしくない終末も、私利私欲の“悪”によってもたらされるというみっともないものになりそうです。

  ちなみに悪魔の反対の概念は天使。神の反対の概念は存在しないらしいです。神は絶対的な存在で、天使と悪魔の上に立つ存在。絶対的な位置に存在するので反対の位置すらない。なるほど。

  ところで神は一般的な認識では善の象徴だと思うのですが、ふと考えてみるとそうでもないのではと思えて来ます。神は世界をつくり、様々な生き物をつくりました。しかしそれらが生きて行く方法は「補食という命の奪い合い」です。確かに自然のサイクルは素晴らしいシステムですが、やはり命の奪い合いがなければ生き物は生きていけません。こんな残酷で不条理な仕組みをつくった神が善だと言えるのでしょうか?

  とまあ、そんな事を考えているうちに昨晩は眠ってしまったのでした。